つまり俺は彼の何もかもが気に入らなかったわけで

幻水1時代のシーナ視点の坊

レイギ・マクドールの何が気に食わないのかと言うと、まずはシーナと同い年という所から始まって、次にあのスカしたような顔と鋭い目と来る。
その次は声で、よく通るのがムカつく。
あとは話し方。完全にこちらを見下したような上から目線の口調。
先日、シーナが偵察部隊に駆り出された時もそうだった。
3日ばかり彼の代わりに働かされたというのに、ようよう帰ってきたシーナにレイギが言った最初の言葉はこうだ。
「戻ったか。報告はマッシュに。一時の休息の後はすぐに持ち場についてくれ。…火炎槍の準備はすでにできている」
…はぁ?火炎槍?なんの単語だ、それは。
こっちはお前が寝てる間も敵地で死と隣り合わせだったというのに。
その後に礼を言われたような気もするが、残念ながら覚えていない。
まぁ、どうせ言われても腹を立てるだけだが。
最近ではレイギの後ろ姿だけでもイライラできる自分がいる。

これは いわゆる、嫉妬である。
そのことをシーナは分かっていたけれど、認めたくない気持ちもあった。
昔からマクドール家のレイギと言えば、父レパントの口から、テオ将軍の息子は素晴らしく、将来は…云々と聞かされてきた相手である。
顔も知らない、赤の他人などと比べられてきたシーナからしてみれば、レイギの存在、そのものが目の上のたんこぶだ。
もちろん、そんなコブがなくともシーナは良い息子ではなかったが…自覚は十分すぎるほどある…比較対象は少ない方が良い。
「なーにが、リーダーだよ、クソッたれ」
シーナは毒づいた。湖の上に突き出すようにして立ち並ぶ この城は、自然が造り出した岩の要塞である。
湿った空気が絶えず城内を漂っていて、それだけでも不快なのに、右も左も男ばかり。
シーナは「クソッたれ」と、もう一回毒づきながら、遠目に見えたレイギを睨み付けた。
レパントが、まるで尊き方へ親愛の情でも示すように頭を下げている。
胸くそ悪くなった。

父親が自分と同じ年の少年に心酔する姿は最高に最低に気持ちが悪い話である。
あのまま頭を下げて、手の甲にキスでもしだしそうな父に「お前はバカか」と声を大にして言いたかった。
みっともないと思わないのだろうか?プライドは?色々なことが頭の中を駆け巡って、シーナは近くにあったタルを思いっきり蹴りつけた。
派手な音を立てて転がったタルはゴロゴロと石の廊下を進んで行き、壁にあたって止まった。
「シーナ!!」と、レパントの怒声があがる。
思いの外、大事になってしまったのは誤算だが、ヒヤッとしたのは一瞬で、シーナはすぐに父を睨み付けた。退くなんて冗談じゃない。
「…んだよ、クソ親父」
父を、いや隣にいるレイギを怒りのままに見る。
整った顔、ピンとした背筋、棍を持つ右手すら隙がない。
育ちの良さ、位の高さが嫌でも伝わってくる。
レイギはシーナの視線を受けて、そして流した。
「それでは、レパント殿、私はこれで…」
まるで甘い囁きのようにそう言って、レイギは護衛を引き連れて去って行った。
歯牙にもかけない。
つまりそういうことらしい。

あの後、父に思いっきり殴られたシーナは唇が切れて血が滲んでいたが、反省するはずがなかった。
ブスッとして椅子に座り、母の手当てを黙って受ける。
その間にも父の説教は止まらない。
レイギ殿は素晴らしい方だ。あの責任感と芯の強さが、お前に一欠けらでもあれば…。
10回に1回はそれだ。
そんなに言うなら今すぐに自分とは縁を切って、養子にでもしてこいと思う。気分が悪い。
「…あなた、もうそれくらいに…。シーナも分かってはいるんです」
いつもこうやって母親の仲裁で説教に歯止めがかかるのだが、今回のフォローは逆にシーナをイラッとさせた。
何がどう分かってるって?面倒くさいことになるのは分かっていたが、これだけはいただけない。
手当てもそこそこにガタンと立ち上がったシーナは「付き合いきれねぇよ!バカ!!」と叫んで、父に捕まる前に逃げた。

シーナは戦況のことを良く知らない。
それはもちろんシーナが全員集合と言われようが重要会議と言われようが無視して出席していないのが原因だが、それを咎めるのは父くらいで、不思議と周りは何も言わない。
だから戦争になると、父に引っ張られて嫌々参加…というのが常だ。
場所は最前列の第一軍。父のせいだ。
今まで死なずに来れたのは、一重に運が良かったからとしか言いようがない。
シーナは何でこんなことをしなくてはならないのだろうと思った。
誰だって死にたくはない。
この日もシーナは飛び出した足で城内を見ながら、どうも近いうちに戦争をするらしいぞと思った。周りが何だか慌ただしくて、独特の緊張感がある。
「今度の戦はでかいぞ」
「これに勝てば、もう皇帝の首を取ったも同然だ…」
どうでも良い。自分には関係ない。シーナはそう思った。
このままフラリとカクにでも行って、そのまま逃亡でもしてやろうかと思った。
だけど、できるはずがない。アッサリ連れ戻されるのがオチで、どんなに足掻いたって叫んだって、戦争になれば問答無用で連れてかれる。
「ちくしょう」
シーナは毒づいた。
誰だって死にたくはない。戦いたくはない。どうしてこんなことをしなくちゃいけないのだろう。どうして。
「シーナ」
ふと、声をかけられてハッとする。振り返るとレイギが立っていて、彼はこちらを見ていた。
「なんだよ」と、シーナは彼の目を睨み付けながら、無愛想に返す。
よりにもよって、こんなタイミングで話かけてくるとは。
感傷的な気分が一気に怒りに変わり、シーナの声も自ずと低くなった。
対して、茶色がかったレイギの金の目は、恐ろしいくらい静かで、話し方も流暢に丁寧だ。
「顔色が優れないが、大丈夫か」
「おまえがいなくなれば、治るよ」
レイギの問いかけをバッサリと切る。
明らかにケンカ腰な物言いに、だけどレイギは何も思わないらしい。
「それは悪かった」と、彼は眉ひとつ動かさずに言った。
そのまま去るかと思ったのに、彼はジッとシーナの方を見た。
何か言いたそうではあるが、それを促す気にはならない。
そのまま、ふと訪れた沈黙は、だけど思いの外、短かった。
レイギが言った。
「家族は大事にしろよ」と。
そして通り過ぎて行った。

翌日になって、やっぱりシーナは戦争の最前列にいた。
炎天下の中、分厚い鎧を着こみ、手には筒状の妙な武器を持っている。
渡された時に「火炎槍」と言われたが、どうやらこれで敵を焼き払うらしい。
「おーおー物騒なことで」
シーナはそう言いながら、焼き払うなんて残酷なことをよく思いついたなと思った。
左手に見える解放軍の旗の下、レイギはいつもと変わらない姿勢で澄ましている。
「暴君め」と、シーナは毒づいた。

しばらくして、遠方に竜のような生き物に乗った騎兵部隊の一軍が現れた。
強固な鎧に身を包み、一糸乱れずに進んでくるその様は、まるで鉄の要塞が押し寄せてくるようだ。
シーナは火炎槍を握りしめながら、あれは先日、自分が偵察に行った相手だなと思った。
あの時、シーナは道中の戦力として駆り出された為、直接、敵陣に入ったわけではない。
だが、この距離からでも分かる威圧感は間違えようがなかった。
今までの部隊とは違う。見つかったら確実に殺される。
そう思って過ごした数日間が鮮明に思い出される。
「全軍、構え!!」
レイギの声が下される。
用意されていたガスマスクをつけ、前衛部隊が火炎槍を、後衛部隊が弓を構えた。
恐らく最後尾の魔法兵団も詠唱に入っていることだろう。シーナはゴクリと唾を呑む。指先が汗で滑りそうだ。
「合図を待て!十分に引きつけろ!!」
レイギの声は嫌いだった。
普段のお堅い声も、戦場でよく通る声も。
大嫌いで、大嫌いで、何度、そう言ってやろうかと思っていた。
それなのに。
「……冗談だろ?」
目の前に現れた部隊。
その中央にいたのは、レイギの父親、テオ・マクドールその人だった。

父親の部隊に向かって、レイギは全く変わらない声で「放て!!」と叫んだ。
押し潰すように攻め込んできたテオの部隊に、シーナの周りでも何人かが倒れたが、シーナは死にたくなくて必死に火炎槍の引き金を引いた。炎は凄まじかった。人を殺すには十分だった。
あちらこちらで炎と悲鳴と血の匂いが充満し、もしも地獄がこの世に存在するとしたら、まさにここがそうだった。上も下も右も左も分からなくなり、全部が黒くて赤くて臭くて、シーナは叫んだ。最悪だった。絶望とはまさにこのことだ。生きて帰れる自信がない。
「退くな!進め!我が剣に続け!!」
遠方で、しかし、ハッキリとその声は聞こえた。
見れば、黒い煙の中で、銀の剣が煌めいていた。まるでそこに全てがあるように見えた。
全ての意味が、存在が、それを証明するように振りかざされた。
(…レイギだ)
シーナは思った。
レイギは最前列に飛び出すと、乗り手を失った黒馬にまたがり、剣を振りかざしながら戦場を駆けた。
「生きろ!」と彼は走りながら叫び続けていた。
「愛する者を想え!命を想え!我らの行く先を想え!!」凄まじい悲鳴のような叫びだ。
だが、傷つき、戦意を失いかけていた兵たちには十分だった。
その声に導かれるように1人、また1人と武器を構える。
「焼き払え!!」
レイギの声と共に炎が上がる。
弓兵が援護の矢を放つ。最後尾の魔法兵団は炎が味方に及ばぬよう、炎がより多くの敵を殺せるように風を巻き上げる。
レイギは真っ直ぐにテオへと剣を向けた。
「我らの怒りを受けよ!」
空が真っ黒に焦げていた。

よくよく思い返してみれば、レイギの言葉は重かった。
あの時、「大切にしろよ」とこぼしたレイギの顔は相変わらずの無表情だったが、その目だけは妙に静かで、怖いくらい深かった。
レイギはいつだって軍人だった。
口数は少なく、愛想よりも剣を振るうのが巧かった。
まだ少年と言われる年のくせに眉間にシワを寄せていることが多く、大抵、2,3歳上に間違われる。レイギは人と話すときは相手の目を見て、ジッと話を聞く。なのに聞いた話はすぐに信じない。相手が話すことをスッカリ吐いたところで、まるで言葉を咀嚼(そしゃく)するように吟味し、内容よりもなぜ相手がその話をしたのかを考えるような男だった。
レイギは完璧だった。
完全な、それこそ模範的なリーダーだった。
そしてそれを演じるだけの力があった。
たぶん、シーナが思うに、彼は物心ついた時から、自分がそういう立場の人間である、ということが分かっていたのだろう。
上に立つ人間は下の者に対し、常に自身が上だと証明し続けなければならない。
そんな言葉をどこかの本で見かけたが、レイギにぴったりな言葉だった。

シーナから言わせてもらえば、何の面白みもない相手だったが、そのレイギが父親の体に剣を突き立てた姿は壮絶で、あまりにも絶望的だった。
深々と貫いた切っ先に、表情のない顔。見開いた目は瞳孔が開いているのか、ほとんど黒く、血にまみれた手は指が白くなるほど剣の柄を握りしめ、ピクリとも動かなかった。
レイギは決して退こうとはしなかった。
父親の死に逝く顔を、ただひたすら見ていた。

割れんばかりの喜びの声を、レイギはどんな気持ちで聞いていたのだろう。

戦争は何も生み出さないと、よく言う。戦いは爪痕しか残さないと。だけどこの国で人が生きていくためには戦うことが必要だった。その為の剣だった。
これは、戦後、全てが終わった時にレイギが言った言葉だ。
その演説をシーナは最前列で聞く羽目になるのだが、その時のレイギの顔は、彼が父親を見送った時のそれによく似ていた。

レイギ・マクドールは強い人間だった。
どの歴史書を見てもそう書かれている。強く、高潔な精神と信念を持った人間だったとそう書かれている。確かにそうだったかもしれない。全部が全部そうだとは言わないが、確かに彼は真っ直ぐな人間だった。自分が決めたことに責任を持つ人間で、シーナが嫌いな、いわゆる堅物の真面目くんだった。だが、彼が自分の父親を殺してまでそれを貫きたかったのかは分からない。
シーナが知っているのは、彼が父親を殺したという事実と、交わされた数少ない言葉だけだ。
レイギは戦いの終盤に言っていた。
「鉄の匂いが、どうしてもとれない」と。「離れない」と。
そう言って湖畔に佇んでいた姿が、妙に印象的だった。

最後の話になるが、レイギとシーナが最後に言葉を交わしたのは、全てが終わった夜の、闇の中、灯火の下でのことだった。
記念すべき日だった。
赤月最後の夜であり、新しい国の前夜でもあった。
皆が皆、死んでいった仲間たちに盃を掲げ、今生きていることに感謝を捧げ、灯りの中で新しい国について語り合う、そんな夜だった。
レイギはその中にはいなかった。
出番を終えた彼は、早々に皆の輪から外れたらしく、姿が見えなかった。
気になったというよりは、興味半分で彼を捜すと、案外にもすぐに見つかった。
彼は噴水の前にいた。
灯火に照らされたレイギの顔は白く、棍を持つ手は小さく見えた。
意外だった。よく見れば、彼はシーナが思っていたほど背は高くなく、体の線も細かった。
こんなんだったっけ?とシーナは思ったものだ。記憶の中のレイギは、ムカつくほど凛とした姿勢で前を見ていて、いつだって大きく見えた。その姿に何度腹を立てただろう。ムカつくと毒づいただろう。
それなのに、最後に見た彼からは、その全てが失われていた。
レイギはひとりだった。
誰も傍にいなくて、ただ闇の中にいた。
シーナに気付いた彼がこちらを見る。
ガラス玉のような目が瞬き、レイギは言った。
「よく無事だったな、よかった。君は突っ走るところがあるから、心配してたんだ」と。

だけどその後ろに見えた彼の屋敷は、真っ暗だった。

レイギ・マクドールは、その日の夜、何もかも置いて姿を消した。
フッと消えるようにいなくなった彼を、翌日になって知った人々が、必死になって捜す中、シーナはベンチに座り、昼寝をすることにした。
空は抜けるような青さだった。
雲は白く、ゆっくりと流れていく、穏やかな日だった。
シーナは欠伸を1つしながら、自分の父親がレイギの名前を連呼しているのを聞く。
バカ親父と思いながら、目を閉じて、本格的に眠る体勢に入る。
頭の中でレイギが見つからなかったら、いったい誰が彼のポストにくるのだろうと、ふと思った。
色々なメンツを思い出しながら、まさか自分の父親がくるとは夢にも思わず…、しかし、あのレイギが最後の最後でこんな逃亡劇を起こしていくとは思わなかったと、考えながら。
レイギのことは結局、好きにはなれなかったが、この惨事だけは面白かったと思う。
どうせなら、気が済むまで、それこそ地の果てまで逃げてしまえばいい。
シーナは思う。
きっと見つかっても、見つからなくても誰も怒りはしないだろう。

そうじゃなきゃ、わりに合わない。