英雄の傷痕

幻水1のバッドエンド後にビクトールが坊ちゃんを追いかけたという妄想。
2時代で再会しても坊ちゃん反応薄かったので、生きてたって知っていたのかなと。

「この国には、お前が必要なんだ」
そう言ってビクトールが命がけで守ったレイギ・マクドールは、その晩、何もかも置いて姿を消した。
責任感と芯の強い男だった。例え身内と戦うことになっても退かず、声高らかに「我に続け」と剣を振りかざした男だった。
なのに最後の最後でやってくれたようだ。人々を引っ張り上げた瞬間、後は勝手にどうぞと、飛び降りていったらしい。
ビクトールはこの話を耳にして、一瞬、ポカンとしたが、しばらくして爆笑した。
面倒くさいという理由一つで誰にも何も言わずにグレッグミンスターを出てきた自分が言うのも何だが、あまりにも酷い。
隣でワナワナと震えているフリックは、鎧ごしとはいえ、彼をかばって肩口に矢を受けたそうだ。
ビクトールは笑いすぎて痛い腹を押さえながら、「じゃぁ迎えに行くとするか」と言った。

レイギ・マクドールは貴族の出身だけあって、常人とは少しオーラが違う。
動作1つとってもそれは明白で、上流階級の持つ品の良さが指の先まで通っている。
その一方で、戦場で放つ存在感は並の将軍では比にならず、剣を掲げれば多くの人間が彼の気迫に呑まれた。
歩いているだけで視線を集めていたのも一度や二度ではない。
つまり何が言いたいのかというと、とにかく目立つということだ。
本人は上手く隠れているつもりらしいが、ボロボロのフード付きマントを着たレイギを捕まえるのは、笑ってしまうほど簡単だった。
行く先々で「見たこともない男がいなかったか」と訊けば、大抵一発だった。いくら戦場では優秀でも、こういう俗世間に彼は疎い。
あえて都会を避けて村を渡り歩いたようだが、それが何よりの証拠だ。
木を隠すのなら森の中。
レイギの存在は田舎では目立ちすぎる。
「逃げることはないだろ、リーダーさんよ」
ビクトールに肩を掴まれたレイギは、最初はフードを目深に下げることで誤魔化そうとしたが、その手を跳ね除けてフードを毟るように剥がしてやったら、強行突破に出た。
さすが解放軍のリーダーとして将を張っていただけのことはある。
ビクトールの腕を軽く流して回し蹴りを入れてきた。
だが腕力的にも体力的にもビクトールの方が上である。レイギの軽い体重ではビクトールは完全にはひるまなかったし、こうなることが予測できなかったわけではない。
ビクトールはレイギの蹴りを片手で防ぐと、彼が着地するであろう場所に足を引っ掛けてやった。
レイギはそれを見切ったものの、避けようとしてバランスを崩した。
肩から強か地面に倒れたレイギは、すぐに起き上ろうとしたが、ビクトールはその足をヒョイと掴んで、カラカラと笑った。レイギの頬が一瞬にして真っ赤になる。
「ふざけるな!ビクトール!」
あの英雄とは思えない恰好で暴れるレイギは、やはり元々の質なのか気位が高いのか、上から目線で怒っている。
それを笑いながら流すビクトールもビクトールだが、一部始終を見ていたフリックは、周りの目もあってすかさず止めに入った。
乱れたマントと土ぼこりにまみれた服を軽く直しながら立ち上がったレイギは、あの射るような強い目でチラリと二人を見たが、すぐにそれを伏せた。
何とも言えない神妙そうな顔でレイギを見るフリックと黙り込んだレイギの間に重い沈黙が下りる。
レイギは何も言わずにフードを被り直そうとするので、ビクトールは「おい、レイギ」と声をかけた。
「その前に言うことがあるんじゃないか」
「……」
レイギは再びビクトールを見たが、少し顔を伏せていたので、睨み付ける様な目つきになった。
しかし、またすぐに目を逸らして、何とも言えない表情をする。
ビクトールは頭を掻いて「まぁ、俺らも同じだがな」と笑った。
レイギの肩を叩いて「一杯つきあえよ」と続けた。

よくよく考えなくてもレイギはまだ少年だった。
それは十分、分かっていたし、理解もしていたが、度々忘れてしまう。
戦場でも城内でも、遠征先ですらレイギは一人の将だったし、解放軍が軌道に乗ってからは決してそのカオを崩そうとしなかった。
もし眉ひとつ動かしたことがあったとしたら、それはテオ・マクドールと戦うことになった時だけだ。あの一瞬だけだ。
だが、その後は黙って剣を取った。
父親の部隊に向かって「焼き払え」と言った。
レイギの炎に照らされた横顔は恐ろしく静かだった。
レイギは何も言わなかったが、マッシュの話では精神を病んだらしい。
詳しくは知らされなかったが、テオとの戦いから数日ばかり部屋にこもっていたことがあったから、その時からだろう。
マッシュは兵が動揺しないようにレイギは遠征に出ていることにしていたが、実際の偵察には他の者を行かせていた。
「大丈夫なのかよ」とレイギの部屋に入りたがったビクトールにマッシュは言った。
「立ってもらわねばなりません」と。それからだった。
レイギが人前で食事をしなくなったのは。

一杯つきあえと言ったのに、水だけしか頼まなかったレイギにビクトールは何も言わなかったが、フリックはつまみの豆をそっと勧めていた。
レイギは一口つまんで、「ありがとう」と言ったが、ろくに噛まずに水で流し込み、それっきり手をつけない。
こうしてテーブルを囲むのは久方ぶりだ。グレミオがいた頃は毎日のようにこうして話をしたものだ。
「マッシュが死んだよ」
レイギがポツリと言った。
手にコップを持ったまま、小さな水面を見ていた。
「僕が行った時にはもう息を引き取った後だった」
そう言ったレイギの声は戦場と変わらず、落ち着いている。
「…そうか」
コップに酒を注ぎながらビクトールは一言だけ返した。
風の噂で聞いてはいたが、レイギに言われると重く実感させられる。
マッシュは冷たく合理的な頭も持ちながら、心の優しすぎる男だった。
テオがレイギに一騎打ちを挑んだ時、咄嗟にビクトールにテオの首を取れと叫んだのが印象的だった。将の首は将が。それはマッシュも分かっていたはずなのに。
「お前たちは僕を連れ戻しに来たのか?」
レイギの淡々とした声の中には、ほとんど感情らしいものが見えなかったが、こういう時が一番、感情的になっていることをビクトールは知っていた。
グレミオが死んだ時、パーンが帰らなかった時、父と戦った時、レイギは同じように顔から表情を削ぎ落としていた。もはや癖になっているらしく、後半ではレイギのこの顔しか見なかったが、全てが終わった今でも抜けないらしい。
「そう見えるか?」
のんびりと酒を呷りながらビクトールは言った。
フリックは何も言わずにコップに口をつけ、豆をつまんだ。
レイギは少し沈黙して「僕には無理だ」と言った。
「悪いが帰ってくれないか」
そう続けた声は硬い。

レイギは神経を病んだとマッシュは言っていた。
でも立ってもらわねば困ると彼は言った。
そしてレイギはそれに応えた。
あの時、レイギの部屋に入ることを許されたのはマッシュとリュウカンだけだったが、2日目以降はクレオも呼ばれていた。
彼女に訊けば何か分かるかと思ったが、固く口を閉ざしたクレオは何も教えてはくれなかった。
結局、レイギの状態を知るものは今となっては2人しかいない。
そしてどちらも決して口を割るような人間ではない。
だからビクトールは何も言えなかった。レイギをかばった時に「この国に残れ」とも聞こえる発言をしたが、彼を守ったのはその為だけではない。
最後の戦い。もう誰も彼の傍にはいなかった。最初に出会った時は、あんなに色んなものに守られていたのに、戦いの中で1つ1つ失っていったレイギに残されたのは、背負わされた命だけだった。
レイギは何も言わなかった。ただ剣を握り、前を見ていた。

「勘違いしているな」
テーブルに運ばれてきた串焼きにかぶりつきながらビクトールは呟いた。黙ったまま同じように串を取ったフリックがここに来て初めて頷いた。
「それも2つだ。珍しいな、大将」
「その呼び方はやめろ」
キッと睨むように、こちらを見たレイギにビクトールは笑う。
串焼きを勧めても首を横に振った彼は「どういう意味だ」と低い声で尋ねた。
ビクトールは少し笑った。
「俺たちがお前さんを守ったのは、何も玉座に座らせる為じゃねぇってことだ」
ますます分からないとレイギは首を傾げた。
その様子が彼を年相応に見せたので、ビクトールは嬉しくなった。
調子に乗って「本当は一人で寂しかったんじゃねぇの?」と頭を撫でようとすると、思いっきり叩かれた。
「ふざけるな」と鋭い声が飛ぶ。
「…実際、本当のことだぜ、リーダー」
フリックが静かに口を開いた。「俺たちはお前を守りたかっただけだ」と彼は続けた。
窓の外に目をやって「生きていて欲しい」と呟くように言うフリックに、レイギは黙り込んだ。
その目が一瞬だけフリックの肩口を見たのをビクトールは視界の隅で捉えた。

グレミオが死んだ時、レイギはその感情を必死に呑み込んだせいで表情を1つ失くした。
グレミオの声が聞こえている時には、あんなに必死に扉を叩いていたのに、その声がもう消えそうに細くなると、レイギは一度だけ扉に拳を叩きつけ、そのまま黙り込んだ。
押し付けた拳が震えていたのを覚えている。あの時、レイギは「すまない」と言った。
「グレミオ、すまない」と、静かな声でそう言って、グレミオも掠れた声で「いいんですよ、坊ちゃん」と返した。最期の会話だった。
レイギは立ち止まることを嫌っていた。
ずっと前を見ていたし、戦いの前には将らしい演説を、威厳に満ちた声で宣言するかのように掲げ、兵たちの指揮を高めていた。戦では常に最前列にいた。戦場での武器も棍を愛用していたが、必要な時には剣で止めを刺した。
「勝利は我らにあり」とレイギは戦場でよく叫んでいた。
「愛する者を想え、守るべき者の為に戦え」と声を張っていた。
しかし、そう剣を振りかざしたレイギの手は、彼が愛した人間の血で濡れていた。

どうせなら泊まっていこうと部屋を取ったが、二部屋しかなかったとうそぶいて、フリックを一人部屋に、ビクトールとレイギで二人部屋にした。
レイギは「嘘をつくな」「フリック、代わってくれ」などとギャンギャン騒いでいたが、一人部屋を譲るほどフリックは寛容ではなく、レイギと二人っきりになるのも御免とのことだった。
「一人にしたら逃げるくせに」
それでも何か言いたそうなレイギにそう釘を打つと、レイギは黙り込んだ。
図星らしい。
ビクトールは「そう邪険にすんなよ、レイギ」と彼の肩に腕をまわすと、レイギは「やめろ」と冷たく振り払った。

レイギは眠りが浅い。
これも戦争の中で培ったものだが、彼のそれは不眠に近かった。
時計の音ばかりが進む部屋の中で、ぼんやりとしたランプの灯りがレイギの横顔をユラユラと照らす。
その目は天井を見ていた。元々、茶色がかった金目の男である。
妙な色に染まった瞳はロウソクのようで美しかったが、作り物のように静かでもあった。
「ビクトール」
こっちが寝ていないと知っていたのか、レイギは天井を見たまま呼んだ。間を置いて返事をすれば、彼は「すまなかった」と静かに言った。
「何が」とビクトールは言いながら、自分も仰向けになって天井を見た。
「それはこっちのセリフだろうが」と返す。
「お前を連れ出したことに後悔はしてねぇ。…この現状もな。悪かったと思ってはいるが、何度やり直せたとしても俺は同じことをすると思う」
レイギは少し黙っていた。だが、しばらくして、「ああ、そんな昔の話を…」と言った。
雨に濡れて帝都を出た夜のことだ。全ての始まりと言っても良い。
ビクトールはこの事をレイギが恨んでいるのではないかと度々思うこともあったが、レイギがそんな器の小さな人間ではないことも知っていた。
だが、ここに来て、レイギが「僕だって後悔はしていない」と言ったので、胸につっかかっていたものが、ようやく取れた気がした。
だけど同時にそんな自分を卑怯だとも思った。
こんなことを話すために彼を捜したわけではない。
「レイギ」と、ビクトールは再びレイギを見た。
「お前が守りたかったものは、何だったんだ?」
レイギは黙り込んだ。重い沈黙と長い時間が訪れた。そのままシンとなった室内に、ビクトールはそれが彼の答えなのだろうと思った。仕方がないことだ。
諦めて今度こそ寝ようと壁側に寝返りを打つ。
その時、レイギがポツリと呟いた。
「帝国」と。

翌日になって起きてみると、隣のベッドは空だった。
予想はしていたが、やはり目の当たりにすると、多少乱暴でもベッドにくくりつけておけばよかったと思う。
シーツは綺麗にたたまれており、サイドテーブルには一人分の宿代がそっと置かれていた。
こんな時でも律儀なレイギにビクトールはちょっと笑ってしまった。自分が寝ている間に黙々と片づけていたのだろうか。
部屋に入ってきたフリックが開口一番に怒ったのは言うまでもない。
「何のための二人部屋だ」と目をつり上げて怒ったフリックだが、彼だってこうなることは分かっていたはずだ。
それを証拠に一頻り騒いだフリックは、最後に「で、どうするんだ?」と切り出した。
追うのか追わないのか、そう問いたいらしい。
心配ならそうと言えば良いのに意地っ張りな男だ。
ビクトールは肩をすくめた。
追ったところで、レイギが帰りたかった場所は、もうどこにもない。